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日本服飾史

江戸時代


  

褊綴姿の俳人


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 燕石十種に安永天明の頃は狂歌師、俳諧師、碁打、将棋差、売ト者、隠者などは綴というものを着たり、それは皆惣髪剃髪のみに限り月代頭(さかやき)に着ざりしを文化の頃より云々と記され、つづいて月代頭の人の着る被風のことについて書かれている。
 柳斎随筆には十徳のごとくして袖ながく、脇すそを5寸ばかりつづ綻ばせたるを綴というとあり、又、それより以前、元禄2年[1689]松尾芭蕉が、みちのくの旅を終えて大垣に同年8月20日過ぎに到り、大垣藩家老次席千二百万取の戸田如水に招かれたが、その時の戸田如水の日記に

と書かれている。
 綴に関する資料は少なく、遺物もない。は法衣の杉のより出たものと思われ、綴は直綴の綴と考えられる。倭漢三才図絵には、杉の俗語が綴であり、その形状は広袖で袖は小巾、1巾半、身丈は膝頭位迄衽なく胸のあたりに小紐がつけられている図が載せられている。杉には裙子が併せ用いられるものであるのに、これには裙子が併せ用いられないので、一部制のものの表現として「綴」が使われたものと思われる。
 ここでは芭蕉を想定して、道帽をかぶり綴を着け、笠、杖を持った旅姿とした。
 尚、芭蕉像として世に知られるものは杉風画賛のものと、森川許六筆の芭蕉が没する前年元禄5年51歳の姿と云われるものがある。ともに儒服をつけているように思われるが、これは特に正装として描かれたものと考え、敢て戸田如水日記の服を綴と見て考証した。

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1  道帽(どうぼう)
2  綴(へんてつ)
3  網代笠(あじろがさ)
4  小袖(こそで)
5  杖
6  脛巾(はばき)[脚袢(きゃはん)]
7  草鞋(わらじ)




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