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日本服飾史

江戸時代


  

武士火事装束


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 江戸時代に都市が更に発達、特に江戸では人口、人家の密集の為に火災が多く、既に慶長6年11月には駿河町の失火に江戸の町々がほとんど焼失したといわれ、明暦3年[1657]の振袖火事には全市焼士と化し、死傷11万人に及ぶという。幕府も消防に力を入れ、大名を主体とした大名火消、更に旗本を中心とする定火消の制が出来、享保時代にはその制度も整い、更に町衆による町火消が組織化された。これ等の消防作業に直接従事する人々は木綿の袷の刺子(さしこ)を主とする火事装束であったが、これとは別に警備用の武士が火事の際着用するものも火事装束といわれ、豪華な威儀のものとなり、婦人用のものまで作られた。
 地質もはじめは革製を主としたものであったが後には羅紗、羅世板(らせいた)、呉呂服連(ごろふくれん)など絨製のものが多く用いられた。
 武士の火事装束の構成は陣笠又は兜、火事羽織、胸当、宛(あて)[当]帯(おび)、野袴で、それぞれに家紋などをつけた。大名や高級の武士は兜に鍬形の前立などのある立派なものを用いたが、一般は陣笠で火の粉をよける為の垂れがつけられている。
 ここに着装のものは夏用のもので小袖は麻の紋附の帷子(かたびら)、羽織は背割りで紫色の羅世板といわれる薄地のモスリン風の毛織物、白刺繍波の丸に本と書かれた家紋の三つ紋附、裏は縹の甲斐絹に菱詰金襴の覆輪がつけられている。襟に波文様、紐は茶地芯入りの組もの。胸当て及び宛[当]帯も同色同裂、宛帯の結び紐は縹色の縮緬、陣笠も、ともに江戸後期の遺物そのままを用い、陣笠の垂れの白毛氈と、裾に黒襦子の附けられた織物地の野袴は考証復原したものである。足もとは紺足袋、わらじばきとした。

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1  陣笠(じんがん)
2  陣笠の垂れ布[(しころ)〔錏、綴〕]
3  胸当(むねあて)
4  火事羽織(かじばおり)
5  大刀
6  小刀
7  宛(あて)[当]帯(おび)のを結んだ所
8  宛[当]帯の背面
9  手甲(てこう)
10  野袴(のばかま)




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