文学と史書の名場面5
藤原道長が紫式部の局を訪れる。『紫式部日記』
* 『源氏物語』の著者に敬意を表して、最後は作者の紫式部に登場願うことにしたい。

彼女には、ひらかなで書かれた日記が残っていて、寛弘五年(一〇〇八)七月ごろ、主人である一条天皇の中宮藤原彰子が、出産のために父道長の土御門殿(つちみかどどの)に帰るのに伴う場面からはじまっている。御産のための後夜(ごや)の御修法(みすほう)が終わり、僧侶が宿所に退去すると、ようやく夜明け前のわずかばかりの静けさを取り戻す。

紫式部は、東の対と正殿(せいでん)の間を結ぶ渡殿(わたどの)の一番西寄りの局(つぼね)を自室に宛われていた。部屋から見ると、朝霧の中にこれから露が落ちようする初秋の気配である。気がつくと、道長が御随身(ずいしん)に壺庭の遣り水に溜まった芥を払わせている。橋廊の南に盛んに咲いていた女郎花(おみなえし)の一枝を折らせたかと見ると、式部の部屋の几帳(きちょう)の上から顔をちょっとのぞかせ、「この花の歌を早く作らなくてはいけないよ」と仰せになる。式部は起きたての顔も恥ずかしいけれども、硯のもとに寄って、

女郎花さかりの色を見るからに露のわきける身こそしらるれ
(女郎花のように盛りの殿様からは隔てられて、露の恵みのないわたしの身の上が思い知られます)

と書き付けた。道長は「なんとまあ、早いこと」と微笑んで、式部から硯を受け取って返歌を認めた。

白露はわきてもおかじ女郎花心からにや色のそむらむ
 (白露が差別などしないでしょう。女郎花はその心から自然と色がつくのです)

栄華の頂点にある権力者と物語の才女との出合の場面である。

『紫式部日記』
『源氏物語』の作者紫式部が、一条天皇中宮彰子に仕えていた時の様子を書いた日記。内容は、寛弘五年(一○○八)秋から同七年正月までの三年間を記し、敦成親王(のちの後一条天皇)出産前後の様子が特に精細な筆致で描かれ、全体の三分の二を占める。  彼女の視線から捉えられた宮廷行事や儀式作法を詳述した記録的な部分は、当時の風俗を伝える貴重な資料である。また自己の感懐などを述べた随想的な部分からは、紫式部特有の内省的性格の実像を鑑みることができ注目される。