文学と史書の名場面2
虫めづる姫君『堤中納言物語』
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平安文学に登場する多くの女性が、教養があり雅びなイメージであるなかにあって、きわだって特異で個性的な姫君が『堤中納言物語』の「むしめづる姫君」であろう。「烏毛虫(かわむし)(毛虫)の思慮深いようすがおくゆかしい」といって、花や蝶には見向きもせず、もっぱら毛虫を寵愛(ちょうあい)する姫君であるが、それはたんに風変わりということだけではない。物事の本質を知ることがたいせつなのだ、という信念に基づいており、毛虫の変成するさまをみようという観察を重視する態度なのである。また、女性らしい化粧や服装などの格好にも無頓着(むとんちゃく)で、すべて自然のままがよいという。眉(まゆ)は抜かず、お歯黒(はぐろ)も染めず、歯は白いままである。

場面は姫君の住んでおられる寝殿(しんでん)北面。男の童が珍しい毛虫を見つけてきた。いろいろな虫が付いた木の枝を、簾(すだれ)を巻き上げて縁に出てきた姫君に下から差し上げて見せているところである。枝の虫を注視する姫君は、衣を頭まで押し上げている。健康的でなかなかかわいい顔をしていらっしゃるのだが、垂らした髪は梳(す)いていないので下の方がばさばさ、眉は黒々とあざやかで、まさに毛虫のようである。練色の綾の袿(うちき)の上に、「はたおりめ」(きりぎりす)の柄の袿、袴も一般に若い女性の着る赤いものではなく、白を着るなど、いたって地味好みである。

もっと虫をよく見ようとして、童に枝から虫を払い落とさせる。次にそれをひとつも残さないように拾い集めさせて、広げた扇の上に受け取っている。扇は白い蝙蝠(かわほり)であるが、扇面に漢字の練習をしたため、墨で黒くなっている。どこまでも徹底した合理主義者である。

『堤中納言物語』
十編と断章一編から成る短編の物語集。作者・編者共に未詳。平安時代後期の成立か。詳細な題名の由来については、はっきりしないがこれらの短編をひと包みにして保存していたので「包みの物語」と呼ばれるようになったという説と、短編に登場する人物が堤中納言と呼ばれていた藤原兼輔を連想させるためにこの名が付いたともいわれている。短編中には、『源氏物語』「蓬生」の巻のパロディを彷彿(ほうふつ)させるものもあり、多彩で独特な内容が魅力になっている。