風俗博物館
TOP 六條院拝見 貴族の生活 行幸の演出 六條院四季の移ろい 風俗博物館について
MENU
睦月(一月)
如月(二月)
弥生(三月)
卯月(四月)
皐月(五月)
水無月(六月)
文月(七月)
葉月(八月)
長月(九月)
神無月(十月)
霜月(十一月)
師走(十二月)
*
*
平安京へ出かけよう
牛車で清水詣へ出かけよう
輿で鞍馬へ出かけよう
虫垂れぎぬ姿で出かけよう
*

六條院四季の移ろい

師走(しわす)(十二月)


ツバキ
ツバキ
ウメ
ウメ
ニホンスイセン
ニホンスイセン
ウメ
ウメ
マンリョウ
マンリョウ
ツバキ
ツバキ
追儺(ついな) 晦日

我々が二月はじめの節分(せつぶん)の夜に豆撒きをし、鬼を退治するのは、大晦日(おおみそか)の宮中行事で悪鬼を追い払う「追儺」という行事に由来する。「おにやらい」「なやらい」ともいった。年の最後の日に諸病や災難を追い払い、これをすませてから気分を改め、新年を迎えたのである。さかのぼれば中国から渡来した行事で「大儺(おおやらい)」といい、文献上の初見は『続日本紀』の慶雲三年(七〇七)。のち「追儺」と呼ばれるようになった。

*

十二月晦日の夜、紫宸殿(ししんでん)に天皇が出御し、群臣が参会して桃の弓、葦(あし)の矢を持つ。祭りを行うのは陰陽師(おんみょうじ)で、悪鬼を払う祭文を唱えると、黄金の四つ目の仮面、玄衣朱裳を付けた方相氏(ほうそうし)が紺の布衣を着した二十人のしんしを率い、盾を矛で打ち鳴らしつつ目に見えない悪鬼を払って歩き、門外へ追い出した。のみならず群臣も桃弓と葦の矢でもって悪鬼を払った。『源氏物語』「幻」の巻に、「儺やらはんに、音高かるべきこと、何わざをせさせん。」と匂宮が言う場面があり、悪鬼を払うために大きな音を立てていたことがわかる。

ところが方相氏が恐ろしい顔をしているからであろうか、十二世紀の頃には立場が替わり、方相氏そのものが悪鬼と見なされて、弓で射られ、追い払われる対象となった。

*
方相氏(ほうそうし)


追儺(ついな)の際に悪鬼を追い払う役が方相氏、略して方相ともいう。背の高い大舎人(おおとねり)[中務省(なかつかさしょう)に属し、護衛や雑事に従事する職員]が選ばれ、四つ目で恐ろしい形相の黄金の仮面を被り、黒い衣に朱の裳をつけ、手に矛と盾を持ち、しん子(しんし)と呼ばれる複数の童子を率い、内裏(だいり)の四門をめぐって目に見えぬ悪鬼を追い払った。ところが後に方相氏そのものが悪鬼と同一視され、追い払われる役となっていった。現在、京都市左京区の平安神宮や、吉田神社の節分祭で方相氏が登場する。
雪 山

古来より冬の雪は、豊作の兆候や害虫の卵を殺してくれる喜ばしい現象として歓迎されていた。また、いつの世も人々の四季の鑑賞の対象である雪月花の一つとして、現在に至るまで長く愛され続けてきた。特に雪は、大雪見参(おおゆきけんざん)や初雪見参(はつゆきけんざん)といった風習になっていることに特徴が窺える。

『源氏物語』の「朝顔」の巻では、雪の降り積もった月の夜、幻想的な二条院の庭の眺めは、藤壺の御前で行われていた雪山作りの様子をしみじみと源氏に思い起こさせた。

*

この雪山作りの初見は、『天暦御記』の応和三年(九六三)閏十二月二十日条に、『源氏物語』にも有名な画工としてもその名が見える飛鳥部常則が蓬莱山(ほうらいさん)を模した雪山を作ったと記されている。次いで『小右記』寛和元年(九八五)正月十日条には、花山院が後涼殿(こうりょうでん)の南壺に雪山を作らせ、作文や朗詠を行ったという記述があり、『枕草子』の「職(しき)の御曹司(みぞうし)におはします頃」の段は、雪山を主題にした有名な段である。この段は、あちらこちらの邸宅で雪山がつくられていたことや中宮定子と清少納言が庭に作られた雪山がいつまで消えずに残るかということを賭けた話が記されている。これらのことから、雪山作りは即興的なものから次第に行事として確立し、『源氏物語』の書かれた時代には、宮中や貴族の邸宅で雪の降った日に雪山を作ることがよく行われていたことがわかる。

『枕草子』の雪山作りの記述は、長徳二年(九九六)から中宮定子崩御(ほうぎょ)の長保二年(一○○○)十二月の間に行われていたので、『源氏物語』の藤壺の御前の雪山作りの話は、この時期の行事を踏まえたものではないかといわれている(『河海抄』)。雪山作りの実態の解明は、なかなか難しいものの、食事抜きで雪山を作った話や雪山の大きさが一丈あまりもあった(『台記』保延二年(一一三六)十二月四日条、久安二年(一一四六)十二月二十一日条)などの記述から、雪山作りに熱中する様子や大きな雪山を作った場合のあったことが知られる。

また歌集に、雪を島々の形に作った(『拾遺集』)とか、雪山を富士山のように作って煙りを立てた(『公任集』)、雪山を作って歌を詠んだ(『周防内侍集』)などという詞書きが見られる。このように当時の人々は雪山作りのイベントを大いに楽しみ、吉祥慶寿の趣向を凝らしていたのである。



*
*
風俗博物館
〒600-8468 京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)
TEL:075-351-5520 FAX:075-351-6947
ご意見、お問い合わせはこちらまで
(館長 井筒 與兵衛) mail
Copyright(C)1998,COSTUME MUSEUM All Rights Reserved.
*