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貴族の生活

装束


装束

宮中で用いられる公卿装束には、即位(そくい)や大嘗祭(おおなめさい)、元旦朝賀(ちょうが)などの大きな儀式に着る「礼服(らいふく)」と、そして諸臣が参内や常の儀式に用いた「束帯(そくたい)」がある。また束帯を略装にした「布袴(ほうこ)」や「衣冠(いかん)」、「直衣(のうし)」といった装束もあり、皇族と臣下、文官や武官などの別で少しづつその形態と着法に違いがみられる。とくに束帯は、奈良時代に着ていた朝服が、格式と範囲を広げて儀式に用いられるようになった公服であり、一番上に着る表着を袍と呼んで特別の形態を持っている
束帯(そくたい)《文官》
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行政事務に携たずさわる文官の束帯は、裾部分に襴(らん)という布地をつけた縫腋袍(ほうえきのほう)に、表袴(うえのはかま)を穿(は)き、半臂(はんぴ)、下襲(したがさね)、衵(あこめ)、単(ひとえ)を着て、また大口袴(おおぐちばかま)に襪(しとうず)、靴(かのくつ)(浅あさ沓ぐつ)を履く。さらに垂纓(すいえい)の冠(かんむり)をかぶり、石帯(せきたい)、平緒(ひらお)をつけて太刀を佩(は)き、手に笏を持つ姿をいう。

下襲の裾(きょ)は高位者ほど長く後ろに引き、延久二年(一〇七〇)の制では大臣の裾は七尺もあったという。公服である袍には当色(とうじき)が決められており、平安中期以降は臣下の一位から四位までが黒の綾を、また五位が緋、六位は縹はなだを用い、綾には諸家専用の織紋が表されていた。初期の束帯はまだ柔らかなものだったが、平安末頃から形を強張らせて威厳を持たせたものとなり、前者を萎装束(なえしょうぞく)、後者を強装束(こわしょうぞく)と称した。また、束帯の表袴と大口袴に替えて指貫(さしぬき)と下袴(したばかま)を穿いたのを布袴(ほうこ)、さらに布袴から半臂と下襲、石帯を除いた姿を衣冠(いかん)と呼んで略装とした。

束帯(そくたい)《武官》
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六衛府(ろくえふ)に勤め、禁裏(きんり)の守護(しゅご)や行幸(ぎょうこう)の警護を受け持った武官は、腋(わき)を縫い合わさない闕腋袍(けってきのほう)を着て、下に半臂(はんぴ)、下襲(したがさね)、衵(あこめ)、単(ひとえ)に表袴(うえのはかま)と大口袴(おおぐちばかま)を着けて靴を履く。さらに石帯(せきたい)と平緒(ひらお)を帯びて太刀を佩(は)いた。

武官の着ける闕腋袍には襴(らん)がなく、袍の後身頃の裾を長く伸ばして下襲の裾に重ねた。また冠の左右に黒馬の尻毛で作った半円放射状のおいかけをつけ、冠の纓(えい)は巻いて活動に便利な巻纓(けんえい)とする。太刀と右の後ろ腰に矢を収めた平胡img(ひらやなぐい)を掛け、左手に弓を持つ。ただし、武官であっても大臣や参議(さんぎ)、中納言など三位以上の公卿(くぎょう)の大将や中将は縫腋袍を着た。

縫腋袍と闕腋袍の袖口は平安初期に一尺二寸だったものが、十〜十一世紀頃には一尺五、六寸と広くなった。

直衣(のうし)
* 私邸での公家(くげ)は直衣を着用した。袍(ほう)に衵(あこめ)と単(ひとえ)を着け、指貫(さしぬき)と下袴(したばかま)を穿(は)いて冠(かんむり)をつけた姿で、衣冠(いかん)と呼ばれる装束とほぼ同じである。ただ、衣冠が位袍(いほう)だったのに対して、色や文様に決まりのない雑袍(ざっぽう)を着て、笏(しゃく)を携帯せずに素足に浅沓(あさぐつ)を履く。直衣の冬の袍は表地を白色にして、裏に藍(あい)と紅で交染した二藍(ふたあい)の綾織物を用い、皇族は小葵(こあおい)文、臣下は唐花丸文様を織りだした。 また夏は三重襷(みえだすき)文様の穀織(こめおり)を用いて単仕立にし、二藍に染めた。中納言以上は聴(ゆるし)を得れば参内に直衣が使え、これを雑袍勅許(ざっぽうちょっきよ)という。直衣で威儀を正す際は冠をつけて冠直衣(かんむりのうし)としたが、常の寛いだ時は烏帽子(えぼし)を被る。
冠(かんむり)
奈良時代の令制度の頭巾(ずきん)が変化したもので、髪の髻(もとどり)を巾子(こじ)で包み、また頭巾の結び余りを垂らしのが冠の形となった。被(かぶり)物としての前頭部の額と髷(まげ)を入れる後頭部の巾子、そして後ろに垂れた纓(えい)で構成され、紋羅(もんら)などの薄織物に漆(うるし)を塗って作った。初期の纓の形は裾開きで柔らかく燕尾(えんび)形だったが、強装束となるに従って長方形の堅いものとなった。身分や官職、年齢によって形や文様が異なる。
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狩衣(かりぎぬ)
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麻製の布衣(ほい)と呼ばれる実用着から発し、公家服飾に発展したのが狩衣である。襟(えり)を盤領(あげくび)にし、後身を一幅(ひとの)にして背縫がなく、袖付を肩の後方でわずかに綴(と)じつけただけの衣裳である。身頃の両脇が広く開いた活動的な衣裳で、袖口に括くくり緒(お)をつけ、また裾括りのある指貫(さしぬき)を穿はき、公家の日常や狩猟時の行動的な衣裳として利用した。

文様を織り出した唐織物や透けた顕紋紗(けんもんしゃ)を用いて作り、表地と裏地で鮮やかな配色をする合せ色目を楽しんだ。頭に烏帽子(えぼし)を被り、平常の院いん参ざんまで着用が認められたが、参内(さんだい)には許されなかった。

烏帽子(えぼし)
前代の略装だった圭冠(けいかん)が発展したもので、初期は黒のあしぎぬを用いて半円の布を二枚縫合した柔らかい袋状のものだった。後に羅や紗の生地に薄く漆(うるし)を塗って全体に張りを持たせて烏帽子が完成した。また次第に丈が長く作られて長烏帽子(ながえぼし)が現れる。公家の略礼である直衣や狩衣に用いたが、聴(ゆるし)を得て院参に使った。
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