風俗博物館
TOP 六條院拝見 貴族の生活 行幸の演出 六條院四季の移ろい 風俗博物館について
MENU
[服制の成立]
縄文式文化の時代
弥生時代
古墳時代
推古・飛鳥時代
奈良時代
[和様の創製]
平安時代
[武装の伸展]
鎌倉時代
室町時代
安土・桃山時代
[小袖の完成]
江戸時代
[洋風の摂取]
明治・大正・昭和時代
昭和時代前期
*
*
平安京へ出かけよう
牛車で清水詣へ出かけよう
輿で鞍馬へ出かけよう
虫垂れぎぬ姿で出かけよう
*

日本服飾史

平安時代


  

神楽「東遊」舞人青摺袍姿


* *

 舞楽が唐、高麗の楽により宮廷における宴楽として発達し、華美な所があるのに対し神楽は奈良朝以来の唐楽等の長所をとり入れて、神聖にして格調の高き、高貴にして直截簡明な精神美を求めたもので、人長舞、久米舞、東遊などがある。
 この東遊は東国地方の風俗舞であり、一説には安閑天皇[6世紀]の頃、駿河国の有度浜に天女が舞い降りたさまを国人道守が作ったと言われている。
 宇多天皇の寛平元年11月賀茂の臨時祭の時に始めて用いられてから神事舞として諸社の祭典に奏られるようになった。
 曲は一歌、二歌、駿河歌、求子(もとめご)歌、大比礼(おおひれ)歌からなる一大歌舞組曲で、京都の葵祭で奏されるのが有名である。舞人六人、拍子歌方数人、和琴(わごん)、篳篥(ひちりき)、高麗笛(こまぶえ)の編成で、舞は駿河舞と求子舞の2つで、動きの少ない上品な舞と云える。
 舞人の装束は巻纓の冠に挿頭をつけ[歌方、楽人は垂纓]桐竹の立木、雉子、根笹の模様のある青摺の身幅一幅闕腋の袍を着用する。本来は布であったが近世は生精好が用いられている。
 更にその下には下襲をつけ裾をひき忘緒をつけ、半臂、単を重ねる。
 袴は近世は、表白生精好、裏赤の表袴(うえのはかま)仕立で、舞人用には五七桐、雉子の雌雄が青摺りされている。
歌方には青摺りはない。
 石帯は六位相当の犀角の通用帯、濃紺の平緒で、黒漆六位の太刀をつける。足には糸鞋をはく。
 青摺袍は清浄な物忌の服で、白に山藍で、その用途により異なるが草木蝶鳥などの文様を型で摺り染にする。この袍は肩に赤紐をつけるのを特色とし、古事記、仁徳天皇の段又、雄略天皇の段にこの事が記されている。
 弘仁時代以降は神事における神職でない一般官人の特定の斎服となり、大嘗祭、新嘗祭奉仕の小忌の職員の標しとして用いられるので小忌衣(おみごろも)といわれ、その形式は種々異なっているが、神楽の東遊奉仕の舞人や楽人も闕腋袍形式の小忌衣をつけるのを例とし、他の官人の私の小忌と異り身幅一幅であり、これを一般に青摺袍といった。
 赤紐は小忌が右肩につけるのに対し舞人は左肩につけるのを特色とした。これは右袖を脱ぐことを考慮したものと考えられる。
 紅紐は赤と濃(こき)の2条からなる。近世は濃を黒に変えるのが例となり、表面に蝶鳥文様を胡粉で散らし肩から2つに折って前後に垂らす。
 著装の分と別に置かれているのは歌方、楽方用のもので、舞人の青摺袍と青摺の文様が聊か異なっている。

*
1  巻纓(けんえい)の冠(かんむり)
2  挿頭華(かざし)
3  (おいかけ)
4  青摺(あおずり)の小忌衣(おみごろも)
5  帖紙(たとう)
6  平緒(ひらお)
7  表袴(うえのはかま)
8  糸鞋(しかい)
9  細剣(ほそだち)
10  笏(しゃく))
11  石帯(せきたい)
12  小忌衣(おみごろも)の裾
13  下襲(したがさね)の裾(きょ)




*
風俗博物館
〒600-8468 京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)
TEL:075-342-5345 FAX:075-351-6947
ご意見、お問い合わせはこちらまで
(館長 井筒 與兵衛) mail
Copyright(C)1998,COSTUME MUSEUM All Rights Reserved.
*