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日本服飾史

江戸時代


  

歌舞伎「暫」


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 歌舞伎を代表するものの一つとして江戸の「荒事」の暫を取り上げた。
 歌舞伎は近世江戸時代に育成された民衆演劇で「傾き」の語からの宛字とも言われ、その異様さ、誇張が感じられる新しい芸能として世に受け入れられたものであった。
 出雲大社の巫女と称する阿国と名古屋山三を始祖ともいわれ、京の四条河原がその発祥の地として伝えられている。男装、女装の「遊女かぶき」、「若衆かぶき」ついで「野郎かぶき」をへて、「元禄かぶき」とその盛期を迎え、京、大阪の「和事」と江戸の「荒事」という二つの流れを生み、坂田藤十郎、市川団十郎、芳沢あやめなど名優といわれている。
 現在にもその形式が残るものの一つが「暫」で初世団十郎が元禄時代に演じ、二世団十郎に至り、演出も整い、歌舞伎十八番の一つとなって以来、市川団十郎及びその門弟によって演じられ今日に至っている。
 筋書は邪悪な公卿又は武将が善良な弱々しい民衆を故なく殺そうとする時、超人的な強さを持つ主役が花道から「暫く」と声をかけて登場、悪をこらしめて善人の人々を助けるという簡単なものであるが、権力に対応する超人を求める悲しい民衆の声とも思え、人々の声なき声を表現し続けてきたものといえる。顔には怒り心を表現する筋隈を紅で描き、誇張した舟型の侍烏帽子や髪型、異様に大きい柿色の長素襖、袖には芯張りをいれ巨大に固定化し、紋は市川家の3つの升、小袖は白地に萠木色鶴菱文様に黒色の裏付、更に緋地小袖を2枚重ねる。[ともに綿入のもの]下に鎧の胸の部分をのぞかせて素襖の上から黒三升紋をつけた腰帯を結び垂れる。長袴の中には高さ約三十糎の足つぎをはき身長を常人以上に高く巨人を思わせ、腰には格別に長い大太刀を佩びている。「傾き」といわれる姿そのものとを示すものということができる。
 この「暫」を演じた9代目市川団十郎の銅像が浅草観音本堂裏の広場に建っている。これは大正8年に建てられ太平洋戦争中、金属回収で撤去され再び昭和61年に復元されたものである。

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1  力紙(ちからがみ)
2  侍烏帽子(さむらいえぼし)
3  大太刀(おおだち)
4  長素襖(ながすおう)
5  腰帯(こしおび)




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