風俗博物館
TOP 六條院拝見 貴族の生活 行幸の演出 六條院四季の移ろい 風俗博物館について
MENU
[服制の成立]
縄文式文化の時代
弥生時代
古墳時代
推古・飛鳥時代
奈良時代
[和様の創製]
平安時代
[武装の伸展]
鎌倉時代
室町時代
安土・桃山時代
[小袖の完成]
江戸時代
[洋風の摂取]
明治・大正・昭和時代
昭和時代前期
*
*
平安京へ出かけよう
牛車で清水詣へ出かけよう
輿で鞍馬へ出かけよう
虫垂れぎぬ姿で出かけよう
*

日本服飾史

江戸時代


  

鎖襦袢、額当をつけた斬込みの武士


* *

 江戸後期斬込みをかける武士の姿を想定したものである。
 額には畳額当(たたみひたいあて)をつけており、平安後期には絵巻物に描かれている半首(はつむり)という面具があるが遺物はない。面具を防ぐ頬当が生まれ、顔面下部用の半頬(はんぽう)、更に鼻をも覆う目の下頬、更に進むと顔全体を覆う総面となり咽喉を守る垂れもそれぞれにつけられる。しかし兜をかぶらない時には頭部を保護する必要があり、室町時代頃から行なわれ、額銕又は鉢金などと呼ばれ、鉢巻に縫いつけたり、左右の端に紐をつけて頭の後ろで結んだ。江戸後期には兜をかぶることは却って異様となり、折り畳式になって頭頂をも保護し、併せて頬に杏葉状の垂れをつけた畳額当が流行した。これは当時の遺物である。
 更に襦袢には鎖が縫い込まれている。鎖が甲冑に用いられたのは平安後期頃か、『平家物語』に「くさりはらまき」の語があり、籠手などにも鎖が用いられている。
 江戸後期には羽織や小袖、襦袢などに縫い込まれて簡易な鎧の代用とされている。これは戦闘が島原の乱を最後として明治維新迄集団による戦いが行なわれることなく、僅少の兵力による奇襲、或いはこれの防禦ということが考慮された為と思える。
 ここでは奇襲用の姿として頭に畳額当、身には鎖襦袢、鎖手甲をつけ、小袖を右肩ぬぎにし、袴の股立(ももだち)を取りたすきがけをし、はばきにわらじ、大小を佩びている。
 江戸後期の戦いの実際が考えられる。

*
1  畳額当(たたみひたいあて)
2  襷(たすき)
3  鎖襦袢(くさりじゅばん)
4  打刀小刀(うちがたなしょうとう)
5  打刀大刀(うちがたなだいとう)
6  鎖手甲(くさりてこう)
7  袴(はかま)
8  脛巾(はばき)
9  草鞋(わらじ)




*
風俗博物館
〒600-8468 京都市下京区堀川通新花屋町下る(井筒左女牛ビル5階)
TEL:075-342-5345 FAX:075-351-6947
ご意見、お問い合わせはこちらまで
(館長 井筒 與兵衛) mail
Copyright(C)1998,COSTUME MUSEUM All Rights Reserved.
*