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日本服飾史

明治 大正 昭和時代


  

鹿鳴館時代の上流婦人洋装


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 明治政府は西欧文明を速やかに吸収して欧米人と対等の外交を求める為に努力した。その外面的手段として政府は東京麹町に明治16年[1883A.D]鹿鳴館という社交クラブを作り外国貴賓接待の場とした。建物はイギリス建築家コンドルの設計で純粋の洋風建築、鹿鳴は詩経にある「鹿鳴き 群臣嘉賓燕するなり」によるという。落成式には西欧の風にならい、夫婦を招待したことにより、女性の洋装が脚光を浴びることになった。
 其の後明治17年から20年にいたる欧化主義の風潮の拠点ともなり、この狂熱的な一時期を鹿鳴館時代という。
 これはその当時の服装を想定したもので、髪は夜会巻きといわれる束髪に、19世紀後期のフランス式の服装とした。
 即ち、19世紀に入るとフランスではナポレオン3世の帝政となり服装界は幻想時代に入り従来行われたクリノリンやグロテスクな異様に大きい服装は一時衰えたが1855年英国から再度のクリノリン[パニエ]が入りシルエットは拡大した。1871年普仏戦争でフランスが敗れてから急激にシルエットも縮小し、大きなクリノリンは消滅してスカートは細く、その背後にその余りをたたみかさねてボーを造った。デコルテの胸はレースをタックして襞を作り、スカートは幾段にもレースのタックをつけて、スカートを背後に曳いた。手には孔雀の羽で作った扇を持っている。
 当時のボリュームと美観を増した盛装である。尚鹿鳴館はのち昭和15年国辱的建物として取りこわされたという。

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1  櫛(くし)
2  夜会巻(やかいまき)[束髪]
3  夜会服
4  孔雀(くじゃく)の扇(おうぎ)
5  ボー
6  絹(きぬ)の靴(くつ)




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