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日本服飾史

明治 大正 昭和時代


  

山高帽、二重廻しのマント


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 肩から体をおおう袖のないオーバー・コートを日本では一般にマントと呼んでいる。
 この形式は古代ギリシャにも見られ、日本へは16世紀後半ポルトガル人によりもたらされCapaの語から合羽[カッパ]と称され、江戸時代には旅行用のものとして広く用いられていたが、マントの名は幕末以降に使われた。これはスペイン、ポルトガルのマントル、フランス語のマントウの名がマントといわれたものである。明治7年[1874 A.D.]頃外国軍人の外套[がいとう]を模したもので、海軍将校用の短外套や警察、消防の防寒用に又、陸軍将校にも用いられ、一般に洋服だけでなく和服用にも用い出され、和洋混交の新しい姿として重用された。特に半円形のマントを和服用に改良を加え、身の部分を袖なしに作り、マントを重ねたものが「とんび」「二重廻し」「インバネス」と呼ばれて一般の男子の防寒用のオーバーとされた。
 女子や子供用には半円形のままに用いられた。
 この「二重廻し」は大正、昭和の第2次大戦終了頃迄、特に和服用として多く使用されたが、戦後は殆どその姿を消した。
 ここでは明治初期の和洋混交の姿とし、二重廻しのマントに和服の羽織、袴、西洋風の山高帽をかぶり靴をはきステッキを持つ文明開化の姿とした。

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1  山高帽(やまたかぼう)
2  二重廻(にじゅうまわ)しのマント[トンビ]「インバネス」
3  着物(きもの)[小袖(こそで)]
4  ステッキ
5  袴(はかま)
6  靴(くつ)




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