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六條院四季の移ろい

卯月(うづき)(四月)


フジ
フジ
ボタン
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ユキノシタ
ユキノシタ
シャクナゲ
シャクナゲ
カキツバタ
カキツバタ
シャクヤク
シャクヤク
灌仏会(かんぶつえ) 八日
* 四月八日、釈迦(しゃか)の生誕の日を記念し、清涼殿(せいりょうでん)で行われる行事が灌仏会である。仏生会(ぶっしょうえ)、誕生会(たんじょうえ)、降誕会(ごうたんえ)、龍華会(りゅうげえ)などともいう。釈迦の誕生時、龍が清浄の水を吐いて釈迦の身にそそいだという故事にならったもので、誕生時の釈迦の姿をかたどった仏像、つまり誕生仏に礼拝し、香水を注ぐ。誕生仏は、釈迦が誕生した時に七歩歩いて右手で天を、左手で地を指さして「天上天下唯我独尊」と説いたという姿を現している。ちなみに現在でも諸寺で行われており、「花祭」などという。

古く中国で行われた仏事で、日本では『日本書紀』の、推古天皇十四年(六〇六)四月、諸寺で行われていた記事が初見である。承和七年(八四〇)に清涼殿で修されてから、宮中行事として定着し、荘厳された祭壇の前に僧や公卿(くぎょう)たちの参会している様子が、平安時代末の『年中行事絵巻』に描かれている。また宮中のみならず、春宮(とうぐう)や中宮(ちゅうぐう)、そして貴族の私邸でも行われた。『源氏物語』「藤裏葉」の巻に、光源氏の邸宅である六條院において、宮中のそれをもしのぐ盛大な灌仏会が行われた様子が描かれている。

更衣(こうい) 〜春から夏へ〜

四月一日、夏の装束に着更え、室内の調度や装飾品を改める行事。「衣がへ」。宮中では、掃部寮(かもんりょう)によって各殿舎の更衣が行われた。『源氏物語』「明石」の巻にも「四月になりぬ。更衣の御装束、御帳のかたびらなど、よしあるさまにし出づ」とあり、夏を迎えて、気分が一新される行事であった。その夜には「更衣の節(孟春の旬)」が開かれ、扇を賜るのを恒例とした。『後拾遺集』に、「四月ついたちの日によめる さくら色に染めし衣を脱ぎかへて山ほととぎす今日よりぞ待つ(桜色に染めていた春の装束を夏の衣に脱ぎ替えて、山ほととぎすの訪れを、今日から待つことですよ)」という和泉式部の和歌がある。

十月には冬の装束や調度装飾品に替える更衣が行われ、その夜の更衣の節を「立冬の旬」という。

葵(あおい)と桂(かつら)

杉
桂
日陰葛
日陰葛
二葉葵
二葉葵
杉の木と日陰葛(ひかげのかづら)を見ていると親子のようだ。 桂と二葉葵(ふたばあおい)は葉っぱを見ると、どちらもハート型をしている。兄妹のようだ。一方は大地からそびえ立ち一方は地に貼付くように茂る。道教的にいうなら陰と陽に対をなしている様に思える。それぞれ生物学では全く異なる二種ではあるけれど発想を変えて分類するなら同じ仲間としても不思議はない。リンネ以前に頭を切り替えてみれば多様な見方が出来る。

葵祭は鎌倉、室町時代に衰え江戸期に再興した徳川氏に因んで葵祭と呼ばれるようになった。以前から行われていた祭りで平安初期に国家行事として行われる事になった賀茂祭(かものまつり)である。賀茂祭のように松尾大社と稲荷大社に日吉大社も桂と葵を飾りに使う。一緒に飾る事を諸飾(もろかざり)と謂う。桂は川沿いにはえる高木である。桂の木と水の関わりは多くの伝説になっている。水を象徴する樹の様に思われる。

京都は桂川と鴨川に挟まれてある。北に神山(こうやま)の麓に賀茂神社、南に松尾大社と稲荷大社がある。いづれも平安京遷都のパトロンともいえる秦氏の社である。新羅(しらぎ)系の渡来民の奈良の葛城氏と秦氏にどれ程の深い係わりがあるのだろうか?葛城氏の桂木に彼らの神である上賀茂社、下鴨社を考えると、葛城氏が秦氏を通して京都に甦ってくる。

賀茂祭(かものまつり) 中の酉(とり)の日
* 賀茂神社、すなわち上賀茂神社(賀茂別雷神社(かものわけいかずちじんじゃ))と下鴨神社(賀茂御祖神社(かものみおやじんじゃ))の祭礼が賀茂祭である。天智天皇六年(六六七)に始められたとされる。平安遷都後、両社に対する朝廷の崇拝が厚くなり、弘仁元年(八一〇)には嵯峨天皇皇女、有智子内親王が賀茂斎院(かものさいいん)となった。賀茂斎院は伊勢神宮の伊勢斎院に倣(なら)っておかれたもので、その神社の神に仕えるために選ばれた女性皇族。斎王(さいおう)ともいう。賀茂斎院は鎌倉時代の土御門天皇の頃まで、約四百年続いた。

祭日は下鴨神社の祭神、玉依姫命が、上賀茂神社の祭神、賀茂別雷命を生んだ日、すなわち四月の中の酉の日(二回目の酉の日)とする。これに先立ち、斎院は鴨川で禊(みそぎ)を行った。祭の当日は、勅使(ちょくし)が参向し、朝廷からの幣(へい)と馬を奉る。勅使と斎院はまず宮中を出発して下鴨神社に参詣、そして上賀茂神社へと向かう。

その行列は数百人で構成され、盛大かつ華麗なものであった。当時単に「まつり」といえば賀茂祭のことをさすほどで、都中の関心を集め、群衆が見物し、しばしば見物場所をめぐっての喧嘩騒動が起こった。『源氏物語』「葵」の巻で、葵の上と六條御息所の従者たちがおこした「車争い」は有名で、しばしば『源氏物語』の名場面として絵画にも描かれた。

なおこの日、行列の構成員の頭、牛車、社の建物や柱、几帳、御簾と、あらゆるものに二葉葵(ふたばあおい)を付けたが、これは二葉葵が賀茂神社や賀茂祭を象徴する草であり、賀茂の神が二葉葵をもって自らをまつれと託宣したことにちなんでいる。

賀茂祭は、当時の一大イベントであり、『源氏物語』のみならず文学作品にしばしば取り上げられ、枚挙に暇がない。




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