風俗博物館
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六條院拝見

視点を変えてみる「春の御殿」

出産(「若葉上」より)


寝殿の母屋  明石女御、紫上、寄りまし女童(出産)
東の対の広廂  紫上、明石女御、光源氏、女房たち(御湯殿の儀)
寝殿の廂  安産祈願のための修法を行なう僧

東宮(とうぐう)(皇太子)のもとに入内していた明石の女御が六條院で男子(皇子)を出産した様子を展示した。

赤ん坊が生まれてから七日間、朝夕二回行われるものに「御湯殿(おゆどのの)儀」がある。これは産湯とは別に儀式として行われるもので、虎の頭や剣、犀角(さいかく)等が用いられる。同時に、「読書始めの儀」や「鳴弦(めいげん)」も行われる。

「出産」は生死をかけた大事業である。出産が近づくと、陰陽師の卦により吉日を選び産室の室礼全てを白一色に改め、安産祈願のための様々な試みが行われた。


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白い衣裳を着た女房達は御帳台を囲む様に控えている。女房の姿は廂にも見られるが、『紫式部日記』によると中宮彰子の出産の折は40人の女房がひしめき合っていたとある。
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出産の日が近づくと白木の御帳台に移ったが、『紫式部日記』によると出産自体は御帳台から出て、北廂で行われた様である。当時の出産は“座産”である。
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御帳台の天井の端から内部の様子を覗いてみた。中には出産を間近に控えた女性(ここでは明石の女御)が白木の脇息にもたれて座っている。下に敷かれた茵も畳の縁の全て白である。
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用意された白木の御帳台。御帳台の帳も周りの几帳も部屋の四方にめぐらした壁代も女房達の衣裳も全て白一色である。
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五壇の御修法のうち、ここでは不動明王をまつり、祈祷する姿を表わした。「五壇の御修法」とは五大尊(五大明王)を本尊として各壇にすえ行われる修法である。
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僧達は寝殿の南面に参集し、実際には護摩木も焚かれ大音声で祈りが捧げられていた。母屋の御帳台の中には出産を控えた明石の女御の姿が見える。
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邸には安産祈願の御修法(密教の行法)を行なう僧が呼ばれた。廂には祈祷を行なう為の壇が設けられ、僧達が怨霊を妨げるために祈っている姿が見える。
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当時は几帳や屏風が立てめぐらさる中で、女房が参集し僧が集い護摩が焚かれ読経の声が響き、散米(米をまく)、甑落としが行われ…と、大変賑やかな(おどろおどろしい)中で出産が行われていた。
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陰陽師は陰陽道や五行説に基づいて、日時・方位等に関する吉凶を占ったり、祓えを行なう。律令制のもとで陰陽寮が設けられ、役人である。
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僧だけでなく陰陽師も呼ばれた。陰陽師は白の祭服に身を包み悪霊退散の祓えを行なう。出産が近づき通常の室礼から白一色の室礼に模様替えする日は、この陰陽師の卦によって吉日が選ばれた。
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寄りましの女童は白い几帳で囲まれている。物の怪や怨霊の存在を信じ恐れていた当時、“苦しみ”はそれらの力によるものと考えられていた。祈祷によって物の怪が乗り移ると少女はトランス状態となる。
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赤い袍裳を着た僧侶は僧綱襟を立て七条袈裟と横被をつける。前の卓には密教法具が並べられている。脇僧は白の素絹(長素絹)に横五条袈裟を着用している。
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赤ん坊を抱く紫の上。奥の御帳台の前には明石の女御の姿。女御は「産養」の後、身体の調子が戻ると赤ん坊(皇子)を連れ、宮中に戻る。
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簀子では弓の弦を打ち鳴らし、邪気を祓う「鳴弦」を行なう武官の姿がみえる。縹色の闕腋の袍を着ている。
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廂には同じく白い衣裳を着た女房達が控える。当時貴族の赤ん坊にはほとんど乳母がつけられ、養育をまかされた。天皇の皇子の乳母には受領の妻が選ばれることが多い。
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庭でも悪霊除けの試みが行われる。殿上人や五位の武官達が手にした弓の弦を弾いて鳴らす、「鳴弦」は、その音によって悪霊を追い払うために行われるものである。
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“虎の頭”を持った女房は白の唐衣・裳姿である。誕生後の7〜9日間の「産養」の間は白一色の世界が続けられた。
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赤ん坊を抱いた源氏の前を“虎の頭(「本草綱目」には“頭骨”とある)”を持った女房が先導する。
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赤ん坊を抱く源氏と御剣を持って後に従う女房。この他に邪気を祓うまじないとして“撒米”も行われる。
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白い衣裳を着た紫の上が赤ん坊を抱き、源氏はその側に立つ。紫の上の後ろには実の祖母である明石の御方(明石の女御の母)が控えている。
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「書読始め」の儀は通常は紀伝明経の博士3人が行なうもので、赤ん坊を入浴させる間、毎回一人ずつ交代して行なった。
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「御湯殿の儀」ではこれからの順調な成育を祈り、吉方の井戸から汲んだ水を用いて儀式的に赤ん坊に湯を浴びせかけることが行われた。



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